広島高等裁判所 昭和41年(行コ)15号 判決 1969年7月09日
下関市唐戸町二番三号
控訴人
川崎幸子こと 梁基福
右訴訟代理人弁護士
大本利一
同
岩本憲二
同市上田中町山ノ口
被控訴人
下関税務署長
中村竜登
右指定代理人
吉富正輝
同
常本一三
法務大臣指定代理人
村重慶一
同
金沢昭治
右当事者間の贈与税審査決定取消請求控訴事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原判決を取消す。
被控訴人が控訴人に対し、昭和三六年一月一三日付昭和三四年度分贈与税(加算税)決定通知書をもつ
てなした、昭和三四年分贈与税同上加算税課税決定を取消す。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は、控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の主張並びに証拠関係は、原判決添付要約書一枚目裏四行「送達の」の次に「同月一三日付」を挿入し、控訴人において、当審証人沖見定助、藤村義明、有田武満、川崎正雄の各証言を援用し、後記乙各号証の成立は認めると述べ、被控訴人において乙第三三号ないし第三六号証、第三七号証の一ないし五、第三八号証を提出したほかは、原判決事実摘示と同様であるから、これを引用する。
理由
一、本件課税処分がなされるに至つた経緯
原審証人伊藤厳、吉村悟の各証言によると、同証人らが、昭和三五年六月下旬頃二村邦美について、下関市大字唐戸町字唐戸町第五番の一〇所在宅地及び同地上建物に関する譲渡所得につき調査中、登記簿上は二村から控訴人名義に昭和三四年七月四日付で同月三日の売買による所有権移転登記がなされているのに右売買に関する二村の代理人森次正夫について調査した結果は、売買契約書に付買受人として川崎正雄と表示されていること。代金の受渡しの時、同人が出席していたこと(この点は後記認定に反する)。その買取資金の出所である福岡相互銀行下関支店で調査してみると、売買価格八四〇万円のうち、二〇〇万円は川崎雅博名義の当座預金から、残り六四〇万円は川崎正雄名義の相互掛金給付金七五〇万円から支出されていることが判明したこと。右雅博名義の当座預金の入金状況からするとパチンコ営業による収入金から入金されていると認められたうえ、雅博は正雄の子で、当時八歳位であつたから、右当座預金も正雄の預金と判断したこと(以上の銀行調査は伊藤事務官が当り銀行員某からの説明と帳簿の記載によつたものであるが、この点については後に触れる)。パチンコ営業の所得申告が、昭和三四年、三五年度とも正雄名義でなされ控訴人はその扶養家族の一員とされていること。正雄に対する調査は吉村事務官が担当したが、応答態度があいまいで調査に協力的でなかつたので、聴取書もとらず、また控訴人本人に対しては面接調査もしなかつたこと。パチンコ営業名義は控訴人になつているが、警察できいたところによると、夫婦ならば申請に応じてどちらにでも許可する方針であるとの由であつたこと。
以上の各事実に基いて、右調査に当つた伊藤、吉村両事務官は本件不動産は、正雄がパチンコ営業からの収入金をもつて買いうけ、これを控訴人に贈与したものと判断し、調書(乙第三二号証)を作成した上、被控訴人に引継ぎ、その結果本件課税処分がなされるに至つた事実が認められる。
二、再調査及び審査請求後の調査
原審証人三河照夫、柳井健三、浅田和男の各証言並びに弁論の全趣旨によると、控訴人から再調査及び審査請求があつたので、更に調査を重ねたが、前項記載の調査の確認的なものに止まつたにすぎず、控訴人から提出された再調査請求書(成立に争ない甲第一号証の一)にも、また、審査請求書(同第二号証の一)にもなにゆえ銀行借入金の名義を雅博或は正雄としたかにつき、銀行の事情書(同第一号証の三)まで添附して申し述べているにもかかわらず、銀行調査に重きをおく必要はないとして、その調査は帳簿上の記載のみに依拠していることが窺われる。(本訴提起後における調査においても、然りである。)尤も、成立に争ない乙第二六号証の記載によると、小川悟司は正雄を交えて二村、森次らが値引交渉を行い、二村と正雄との間に念書を取りかわした旨述べたような記載があるが、原審における同人の供述自体、さして信を措けるものではないし、ひいて右供述の録取内容も、信用できるものとは認め難いから、これをもつて後記認定の事実が左右されるものではない。
三、本件不動産買取資金の出所について
原審証人沖見定助、梁瀬茂男、戸島酉夫、朴奇雲、川崎正雄、当審証人沖見定助、川崎正雄、藤村義明、有田武満の各証言及び原審における控訴本人尋問の結果を総合すると、
(1) 本件不動産売買契約成立の端緒は、小川悟司が不動産仲介業者である沖見定助の所に話を持ち込んだことから、沖見がかねて親しく出入りしていた控訴人に対し、たまたま本件不動産が控訴人(その経営の実体については後述する)の経営するパチンコ店に隣接していたので、その買取方の話を進めたことから始まつたのであるが、当時控訴人の夫川崎正雄は肺病治療のため、京都に滞在中であつた。そこで、控訴人は京都まで赴いたりまた、電話したりして、その当否につき意見を求め、又実兄に当る梁瀬茂雄――控訴人は正雄と結婚後、右梁瀬の経営する下関市長門町のビンゴ、ゲーム店で手伝をし、同人が宇部に転出後も引継いで営業していた。その後ビンゴ、ゲームが禁止になり、正雄が肺病で入院したりしたので、同市茶山通りで靴屋を開業したが、それも二年程で廃業し、昭和三二年四月頃から、モナコ遊技場という屋号でパチンコ営業を始めるに至つたものである――にも相談の上、これを買受けることとし、その手続一切を沖見に一任した。一方福岡相互銀行下関支店の行員藤村は、控訴人と取引もあつたことから、本件不動産が売りに出されていることを控訴人に告げ、買取資金については、同銀行において面倒をみる旨の申出をしていた。
(2) そこで沖見は本件不動産の所有者二村邦美の代理人である森次正夫と交渉し、代金八五〇万円で売買契約が成立した。その際、控訴人から全権を委されていた沖見は、当時正雄が京都で療養中で不在のため、(従つて、この契約に関しては、契約書の作成、代金の授受及び登記などの手続には、正雄は直接関与していない。)同人にはなんら相談もすていなかつたが、控訴人から「お父ちやんの名前にした方がよいのではないでしようか。」と云われていたこともあり、買主を正雄名義とする契約書(乙第一号証の二)を作成した。それというのも、同人が契約書というのは一応の取決めにすぎず、対外的な関係においては男――夫を先に立てるべきであるし、業者としてその様な事例も経験していたから、独断で正雄名義を記入したのであつて、真実の買主が誰であるかを確かめての上で行なつたものではなかつた。そのため、「本当の所有権の移転は、やはり登記によつて行なわれる」という考えから、二村から控訴人へと所有権移転登記手続を了した。
(3) つぎに、パチンコ店経営の実態について考えるに、
(イ) 前述のように、昭和三二年頃から同市唐戸町でモナコ遊技場という屋号でパチンコ営業が開始されたが、川崎正雄は控訴人と結婚一年位(昭和二五、六年頃)してから肺病を患い、爾来入院したり湯治に行つたりして療養につとめ、自宅にあつても別に仕事らしい仕事をするでもなくブラブラしていた。このような正雄の健康状態だつたので、控訴人が毎日の売上金をパチンコ営業の管理人(支配人)である朴奇雲からうけとり、その中から給料、機械設備代金、景品代金などを支払い、銀行取引も福岡相互銀行下関支店に控訴人名義の口座を設けて行なつていた。
(ロ) さて、本件売買代金の調達であるが、前述のように、本件不動産の購入については前記取引銀行の藤村行員による勧めもあり、同銀行としても控訴人とは昭和三一年頃から取引が円満に継続していたので、その資金の貸出については当然同人を援助する予定であつたところ、控訴人名義当座取引が昭和三三年一二月一七日に不渡発生により取引停止処分をうけていたので、爾後三年間は控訴人名義で当座取引は勿論信用貸付もできないとされていた。しかし、右不渡発生の事情には、控訴人に同情すべき点があつたので、同銀行はなんとか控訴人のため融資しようとして、実際は控訴人に対し貸付け、同人から返済をうける意図であつたが、銀行内部の手続上は、正雄名義で処理して、七五〇万円を控訴人に貸付け、本件不動産の代金の支払いに充てるという帳簿上の操作を行なつた。
(ハ) しかるに、本件課税処分の調査に際し、右銀行の帳簿上の記載が、正雄などの名義になつていることが判明したため、被控訴人は、買取資金は正雄から出ているという確信を深め、ついに本件課税処分に踏み切るに至つた。そこで、控訴人側では、本件争訟を提起するとともに、銀行に対して強く抗議を申込んだところ、銀行側もその非を認め、利息など(約七、八〇万円位)を免除することとし、元金のみの返済を、パチンコ営業からの収入金をもつて、控訴人より弁済をうけた。
(4) 以上認定の事実によれば、パチンコ営業の主体(実質的経営者)は、控訴人であつて、その夫正雄ではなく、本件不動産買取資金も、控訴人自身の働きと信用により作出されたものと認めるのが相当である。
四、
(1) 尤も一、において認定したように、本件処分に至るまでの資料に加えて、外国人登録原票にも、昭和三四年当時正雄が遊技業経営者、控訴人は無職とそれぞれ記載されていることなどの資料に基いて判断するときは、必ずしも被控訴人の判断を非とするに当らないかの如くであるが、右は所得申告と同様に、単にそのような申請がなされているというに止まりその申請内容の真否について実体的調査が行なわれた結果、確認されたものではない。(右申請の動機につき、原審において控訴人は、主人である正雄を遊技業経営者として届けたのは、世間態を慮つてしたことであるとの趣旨の供述をしているが、首肯しうる。尤も所得申告は、それが控訴人から被控訴人に対する自主的な意思表示であるから、それに禁反言的効果を認める余地がないではないが、しかしこれとても税務官署としては、その実体につき調査すべきであるし、「夫婦であるから誰が納めてもよいだろうと思つて、深く考えずに申告した。」という控訴人の前記供述も納得できなくはない。)その意味において、被控訴人側が調査の要なしとして、または信を措くに足りないとして排斥した「控訴人がパチンコ営業の許可をうけて、直接経営している旨の証明書(甲第一号証の四、五)や固定資産税、娯楽施設利用税などを控訴人が納めている旨の証明書(同号証の六ないし一〇)」となんら本質的に異るものではない。
(2) 他方、銀行が融資を行なうにあたつては、貸付資金の回収が確実に行なわれるか否かを、当事者的立場から、担保の有無、事業経営の実態(経営者の経営能力、施設、返済能力等)などにつき慎重、綿密に調査し、熟慮検討した上で行なうのが通常である。そうだとすれば、同銀行は、永年に亘る取引を通じ、本件パチンコ営業が誰の手によつて行なわれていたかを直接はだをもつて感得していたものと推認されるところ、それに加えて、本件の場合においては、福岡相互銀行はいわば第三者的立場(昭和四一年二月二八日七五〇万円の回収が終り、その後取引がないことは、当審証人有田武満の証言から認めうるし、同銀行はこれにより七、八〇万円の得べかりし利息を喪失していることは、さきに認定したとおりで、同銀行はむしろ控訴人側からは、好意が仇となり、損害をうけた立場にあるものといえよう。)から、右述のような日常取引を通じての経験からする経営実体の把握に基づき、控訴人に対し、融資を行なつた(その帳簿上の操作はともかく)というのであるから、先に述べた税務調査の結果に比して、より一層信を措くに足りるものと謂うべきであろう。
五、そうだとすれば、被控訴人において、パチンコ営業は正雄の経営に係り、その売上収入金をもつて、正雄が二村から本件不動産を買いうけたことを前提とし、登記簿上二村から直接控訴人名義に所有権移転登記がなされていることをもつて、正雄から控訴人に対し本件不動産の贈与がなされたものとしてなした本件課税処分は、贈与という課税要件の立証を欠くに帰するものであつて結局不適法な処分というべく、これと結論を異にする原判決は不当として取消しを免れず、本件控訴は理由がある。
よつて、民訴法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 柚木淳 裁判官 竹村寿 裁判官 加藤宏)